誰にとっても推しのアーティストはいるはずです。私にもそのようなアーティストがいます。そのアーティストはバリー・マニロウです。
バリー・マニロウ(Barry Manilow)は、アメリカ合衆国の歌手、作曲家、プロデューサーです。ニューヨーク市ブルックリン出身のロシア系ユダヤ人で、ジュリアード音楽院を卒業しています。
バリー・マニロウは1943年6月17日にバリー・アラン・ピンカス(Barry Alan Pincus)としてニューヨーク市ブルックリンに生まれました。彼の両親、ハロルドとエドナ・ピンカスはロシア系ユダヤ人の子孫です。マニロウが2歳のときに両親が離婚し、その後はブルックリンのウィリアムズバーグで母親と母方の祖父母に育てられました。彼の祖父母は、マニロウが初めて楽器を演奏するきっかけを作り、彼の音楽的才能を育む大きな影響を与えました。
高校卒業後、マニロウはニューヨーク音楽大学とジュリアード音楽院に入学し、CBSの郵便室で働きながら学業を続けました。1964年、彼はメロドラマ「The Drunkard」のためにオリジナル曲を作曲し、これが彼の音楽キャリアのスタートとなりました。同年、マニロウは高校時代の恋人スーザン・ダイクスラーと結婚しましたが、音楽に専念しすぎたため、結婚生活は短命に終わりました。
1970年代に入り、マニロウはCMソングの作曲や歌唱で成功を収めました。彼はベット・ミドラーの初期のアルバムをプロデュースし、1973年にファーストアルバム『バリー・マニロウ』をリリースしました。1974年には、セカンドアルバム『バリー・マニロウII』がリリースされ、ナンバーワンヒット曲「哀しみのマンディ」を収録。このアルバムの成功により、彼のキャリアは飛躍的に発展しました。
1980年代には、「The Old Songs」や「Somewhere Down The Road」などのヒット曲をリリースし続け、ラジオで高い頻度で放送される人気アーティストとなりました。また、映画「コパカバーナ」に主演し、映画のサウンドトラックも担当しました。1984年には、ジャズアルバム『2:00 AM Paradise Cafe』をリリースし、サラ・ヴォーンやメル・トーメなどの伝説的ジャズ歌手と共演しました。
1990年代以降、マニロウはカバーアルバムやクリスマスアルバムをリリースし、さらなる成功を収めました。特に、2006年にリリースされた『The Greatest Songs of the Fifties』はビルボード200で初登場1位を記録し、大ヒットとなりました。また、ラスベガスでの長期公演「MANILOW Music & Passion」も成功し、彼の人気は衰えることなく続いています。
バリー・マニロウは、そのキャリアを通じて多くの名曲を生み出し、多くの著名人から高い評価を受けています。フランク・シナトラから「次に来るのは彼だ」と言われ、ボブ・ディランからも「あなたがしていることを止めないでくれ。我々はあなたの影響を受けている」と絶賛されました。
マニロウは自身の音楽活動だけでなく、ベット・ミドラー、ディオンヌ・ワーウィック、ローズマリー・クルーニーなどのアルバムをプロデュースし、ミュージカルや映画のための曲も手掛けています。
1980年代から1990年代にかけて、マイケル・ジャクソン、マドンナ、シンディ・ローパー、デュラン・デュラン、カルチャークラブ、ビリー・ジョエル、プリンス、デビッド・ボウイ、ガゼボ、ジャーニー、ヴァン・ヘイレンなどのヒットメーカーが活躍していました。私もこれらのアーティストのアルバム(当時はレコード)を購入したり、レンタルレコード店で借りたりと夢中になった世代です。
しかし、誰もがこれらのアーティストのファンになる中で、私の推しのアーティストになったのがバリー・マニロウでした。思春期だった私にとって、大人びた楽曲と弾き語りのスタイルに夢中になりました。おそらく当時発売された彼のレコードはすべて購入し、その後、CD化されたときも再購入しました。ファンクラブにも入会し、アルバイトをして貯めたお金で日本武道館のコンサートにも行きました。
特に日本武道館のコンサートで、彼が琴を弾いて「さくら」を歌ったときは、子供ながらに衝撃を受け、感動しました。彼は日本語を話せるわけではなかったけれど、日本のファンに向けて琴と「さくら」の歌詞を覚えて歌ったのです。当時、彼は「ライブの帝王」とも呼ばれていましたが、その呼び名にふさわしいパフォーマンスでした。
バリー・マニロウは、その素晴らしいメロディーと感動的な歌詞で多くの人々の心をつかんできました。彼の音楽は時代を超えて愛され続け、多くのアーティストに影響を与え続けています。彼の長年にわたる音楽キャリアと多岐にわたる功績は、彼が音楽業界においていかに重要な存在であるかを物語っています。